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2017/10
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高橋大輔が作ってきた「道」
羽生結弦の登場は衝撃的だった。
そして、まさにキラ星のごとく現れた彗星はあれよあれよという間に、アスリートの最高の場所にまで上り詰めた。
それを「本田、高橋が歩んできた道」があったからこそ、もたらされたものだという人も多い。
世界でひとりで戦ってきた本田、高橋世代とは、羽生は最初から立ち位置が違っていたという人もいる。
それはまぎれもない事実だろう。
けれど、本田と高橋の立ち位置は明らかに異なる。
その去就が注目されているとはいえ、高橋は現役のアスリートなのだ。
金メダル候補の一角として、ソチを戦ったのだ。

高橋は常に日本フィギュア界のために何ができるかを考えているが、彼はアスリートだ。
それも、超一流の真のアスリートなのだ。
究極のところ、自分のために戦っている。
満身創痍になって道を切り開いてきた彼は、自分自身の手で、その「仕上げ」をしたかったに違いない。
「日本男子初のオリンピック金メダル」。
いくつもの「日本男子初」を手にしてきた高橋は、どの選手よりも長い間、どの選手よりも近くで、「その場所」を見据えてきたのだから。

けれど、今回、彼は、傷だらけの足で戦わなければならなかった。
戦い続けてきた彼の足はもう彼の思うようには動かなかった。

彼の切り開いてきた男子フィギュアの「仕上げ」をしたのは彼と入れ替わってリンクに飛び出して行った、年若い後輩だった。
悔しくないはずがない。
どれほどの悔しさだろうかと思う。
リンクをおりた彼からは想像がつかないが、実は、彼は負けん気の強さでも知られている。

けれど、彼は笑って見せた。
表彰台の真ん中にぴょんと飛び乗った後輩のために、日の丸をふってみせた。

そう。
高橋はそういう男だ。
そういう男だからこそ、日本の男子フィギュアの今があるのだ。

世代交代は競技の常だけれど、今回、スケートの神様はその申し子である高橋に、なんという残酷な場を用意したのかと思う。
高橋は「いろんなものがないと勝てないのがオリンピックだと思うので、人生なのかなって感じます。」と競技後、かみしめるように語った。
高橋はオリンピックを人生にたとえたけれど、人生には運と理不尽さがつきものだ。
せめて、リンクの上では・・・と願うけれど、ことフィギュアにおいては人生以上の理不尽なドラマが繰り広げられることも少なくはない。
私たちは、理不尽さに涙しながら、けれど、四年に一度という巡り合わせで、羽生結弦という類まれなる才能が開花したことを喜ぶべきなのだ。
そうでなければ、高橋大輔が作ってきた道が日本男子フィギュア初の金メダルという最高の形で結実しなかったこともまた事実なのだから。

(dosanko)

---------

自分でもちょっと冷静になりたいので、今回、壁新聞の記者になったつもりで書き始めてみました。あはは。

テレビでも新聞でも「大ちゃんが道を作ってきたから」って言ってくれるのは嬉しいの。
でもね。
なんか、それって過去の人っぽいやん。
本人が引退を示唆してるから仕方ないんだけどさ。
でも、本田さんと違って、大ちゃん、引退してないやん。
バリ現役やん。
ライバルやん。
金メダル獲るつもりでやってきたやん。
それを目の前で、後輩がもってったんだよ。
仙人でもあるまいし、悔しくないわけない。
大ちゃんが自分自身のために戦い続けてきた結果、道ができたのであって、それが後輩の金メダルにつながったかもしれないけど、大ちゃんは自分が金メダルを獲るために最後まで戦ったんだと思うの。
だけど、大ちゃんがあんな顔で笑うから、大ちゃんの笑顔にもいつも騙されるけど、でもやっぱり、こっちが泣きたくなるんじゃないか。

そんな思いで書きました。
かといって、大ちゃんがこれまで頑張ってきたことを誰も言ってくれなかったら、めっちゃイカったとも思うので、自分でもメンドクサイこと言ってんなあという自覚はある。

そして、私の悔し泣きの理由はもうひとつあって。

前の記事で、私は男子フリーを観ながら三回泣いたと書きました。
順番にアップしていこうと思ったんだけど、私がフヌケている間にもう女子が始まっちゃうので、答えを言っちゃいますが。
一回目はジュベール選手のキスクラでの笑顔を見た時。
二回目は大ちゃんが滑っている時。
三回目はチャン選手の得点が出た時。
でした。
日本人のほとんどが羽生選手の金メダルに喜んでいるであろう瞬間、こんなダークな泣き方をしているのは日本でアタシくらいじゃないかと思いました。 思いながらも涙が止まりませんでした。

チャン選手の得点が出た時。
悔しくて悔しくて悔しくて。
ねぇ。だったら、あの時もあの時もあの時も、大ちゃんが勝っていたでしょう。あほんだらぁあああ!!!」 とジャッジの胸ぐらをつかんで叫びたかった。

もちろん、羽生くんが勝ってもおかしくなかった。
だけど、チャン選手を勝たせることもできた。
今までそういう場面では-いや、明らかにチャン選手を勝たせるべきではない試合でさえも-、必ず、チャン選手を勝たせてきたじゃないかと。
どうして、今なんだと。
どうして、大ちゃんの脚がこうなってしまった今、流れが変わったんだと。
「なんでなんでなんで」。
エンドレスに繰り返されるやりきれない思い。

何故流れが変わったのか。

ニースのワールドでのチャン選手に対するブーイングも理由の一つひとつかもしれない。
チャン選手がビッグマウスを連発し、ISUの思惑より、人気が上がらなかったこともあるかもしれない。
けれど、いちばんの理由は大ちゃんが中心となって、日本の男子フィギュアを引っ張ってきたからだと私は思う。
大ちゃんが先頭になって、女子に負けじと皆で盛り上げてきた日本男子フィギュアは今や、さいたまアリーナという大きなハコさえ、余裕で満員にできる、興業的に「稼げる」存在に成長した。あれほどの高額なチケットが容易にさばける国は日本以外にそうはないだろう。
日本男子フィギュアはISUにとって、無視できないドル箱になったのだ。
そして、高橋大輔という圧倒的なスケーターの引退後も、そのドル箱は失うわけにはいかない。
新しいスターが必要とされた。

順位はジャッジ次第でどうにでもなるし、記事は順位次第でどうにでも書けるということは今までに何度も見てきた。
今回も、もしチャン選手が金だったら、「小さなミスはあったものの、転倒という大きなミスはなくまとめた。」となり、羽生選手は「二度の転倒で体力を奪われ、後半には足が止まりそうな場面もあり、かねてから指摘されていたスタミナ不足を露呈した。」と書かれただろう。

でも、だからって、「じゃあお前あれかい、チャンが金メダルだったらよかったとでもいうのかい」ってこととイコールじゃないのよ。当たり前だけど。 
ISUには何度も煮え湯を飲まされてきたんだから、たまには日本だっていい目を見てもいいじゃんって思うし、何より、羽生選手には実力があるんだから、ロシアが何を言おうと堂々としてりゃいいのよ。 結果が全てなんだから。
「運も実力」のうちとはよくいったもので、選手の体力的技術的なものはもちろんのこと、そのピークの巡り合わせと、その時のいろいろな流れとISUの思惑が噛み合った人が獲れるのが五輪の金メダルというものなのだろう。

だから、強いて言うなら、神様かな。
神様に理不尽さを訴えたいのよ。

「大ちゃんが「道」を作ってきたんです。
表の意味でも、裏の意味でも、大ちゃんが道を作ってきたんだです。
オリンピックの金メダルを目指して、ずっとやってきたんです。
そんで、脚もけがしちゃって、満身創痍なんです。
ここへきて、この仕打ちって、一体どういうことなんですか。
どうしてなんですか。 」

もし大ちゃんの足の状態がよければ、日本開催の三月のワールドは、オリンピックでの罪滅ぼしのように、ジャッジは大ちゃんに甘くするかもしれない。
オリンピックではないから、羽生くんとふたりでの台乗りもあるかもしれない。
「くっそ~今になって、そんなことしても喜ぶもんか。アホンダラがああ!!!!」と意地を張りそうになるけど、もしそうなったら、素直に、大ちゃんの素晴らしい花道ができることを喜ぼうと思う。


今回、いろいろな人がいろいろなことを思っただろう。
私の今回の記事に、うなずいてくれた人もいるかもしれないけど、まちがいなく、反発をおぼえる人もいると思う。
そうだと言って欲しいわけでもなく。
ちがうと言って欲しいわけでもない。
私は思い込みが激しい系な上に、頑固だから、何を言われても基本、変わらないだろうし。
正しいかそうじゃないかじゃなく、あれやこれやブラックなことを考えて、ダーク面に落ちそうな自分と戦いながら、フィギュアを観ることに、心底嫌気がさしちゃったの。
前々から、大ちゃん&真央ちゃんの引退を機に、私もフィギュアから距離を置こうと思っていたんだけど、今回、それがブチッと音たててキレて、きれいさっぱり未練ないです・・・という境地に達しました。
老兵は去るのみ、ですな。

昨日、母に電話しましたら、 「ちょっとアンタ。大ちゃんの点数どういうことなの。世界一のステップなのに、チャンより低いってどういうことなの。お母さんは大ちゃんに一番心打たれたよ。」と言われまして、 「うん。でもそれがフィギュアなんだよ・・・。仕方がないんだよ・・・」と力なく答えておきました。
キムヨナ選手を称賛する母とはフィギュアの突っ込んだ話をしなくなって久しいのですが、その母の言葉が嬉しくもあり。

フィギュアの腐敗がここまできても、「純粋に応援したいです。そんなこというのカナシイです。」という人はいて、でも、今回その中で、羽生選手のファンになった人もいると思う。
「ディープな世界へようこそ。」
嫌味じゃないのよ、ホントに。
だって、今のフィギュアを生き返らせるたった一つの方法があるとしたら、ひとりでも多くの人の心に疑いの芽がにょきっと生えて、おかしいって思い始めることしかないもん。

そして、「流れ」はまた変わるだろう。
羽生選手は、実力も才能もあって、負けん気も強く、驕らずに努力し続けることができる選手だから、ISUの流れが変わっても-むしろ「盛られている」疑惑をもたれることをされる方が迷惑-、実力で勝ち続けていくことができるだろうけど、その時、また多くの人が「気づく」きっかけがくるかもしれない。
まあ、いよいよ競技として成り立たなくなったら、ISUはまた採点方式を変えて、しのいでくるかもしれないけどさ。

公平で正当なジャッジの下、ただその時、いちばんの演技をした選手が勝つ。
そんなフィギュアを観たい。

フィギュアは好き。
これからも好き。
でも、心がつぶれそうな思いで、観ることはもうない。
小さい頃、気がついたら、冬にはテレビにフィギュアが映っていた。
母と話をしながら、本を読みながら、時折手を止めて、フィギュアを観ていた。
そんな時に戻る。
大ちゃんが滑ってくれる間はアイスショーを追いかけて。
日本のフィギュアのことは1kmくらい離れたところから、応援してます。
ファンも世代交代ですかな。

日本スケ連いわく「フィギュア大国道なかば」だそうですが、私が生きている間に、フィギュアファンにとって夢のようだったこの数年間以上の日々が再び訪れることがあるだろうかとさえ、私は思っている。
今はただ、後に「伝説」となるであろうこの時代に、リアルタイムでアツくなることができたことがただただ幸せだったなと思うのです。

ありがとう。
みんなみんな、ありがとう。
そして。
大ちゃん。
私はあなたのスケートが一番好きです。
これからもずっと。

------

羽生結弦、空前のフィギュアブームの申し子
(2014/2/17 日経より転載)

世界で最もフィギュアスケートの人気がある国は現在、間違いなく日本だろう。米国では「熱狂的で、日本選手を全メディアが追いかける。日本で最も人気のあるスポーツ」と紹介されていた。空前のフィギュアブームの恩恵を受け、才能を伸ばしていったのが19歳の金メダリスト、羽生結弦(ANA)といえる。

■トップ選手ら世界中から続々と
 フィギュアの日本の金メダリスト2人は、ともに仙台市のリンクが生んだ。幼少時代から仙台で過ごした荒川静香が2006年トリノ五輪で金メダルを獲得したとき、仙台生まれの羽生は11歳で小学5年生。ジュニアの下のカテゴリー、ノービス選手にすぎなかった。
 トリノ五輪シーズンは、五輪出場資格のない浅田真央(中京大)が15歳でグランプリ(GP)ファイナルを制し、世界のフィギュア界に旋風を巻き起こした年でもある。相乗効果でトリノ五輪後、日本にブームが到来した。
 本場である米国の人気は下がる一方、アイスショーが次々と打ち切られたころだった。6月から9月まで毎月、ショーのある日本に、トップクラスの選手が世界中から続々とやってきた。

■全種目のトップ演技見るチャンス
 恐らく現在、日本ほど全種目のトップ演技を見るチャンスがある国はないだろう。羽生が憧れたエフゲニー・プルシェンコ(ロシア)、トリノ五輪男子銀メダリストのステファン・ランビエル(スイス)をはじめ、アイスダンスやペアの世界トップ選手、羽生のソチ五輪ショートプログラム(SP)を振り付けたトリノ五輪銅メダリストのジェフリー・バトル(カナダ)、エキシビションを振り付けたカート・ブラウニング(カナダ)ら往年の名選手まで共演している。
 日本には荒川がいて高橋大輔(関大大学院)、小塚崇彦(トヨタ自動車)、織田信成、浅田、安藤美姫という現役の世界トップクラスもいた。
 ショーにはジュニア選手も招待されることがある。日本スケート連盟も場に慣れさせるため、そういう機会を作ってきた。仙台は地理的にショーが多い首都圏、名古屋近郊から離れてはいるが、羽生は常連選手。ジャンプとスピンの切れ、ノリの良さは中学生には見えず、「Change(MONKEY MAJIK+吉田兄弟)」、少し成長してからは「Vertigo(U2)」などの曲を小気味よく滑っていた。時折、調子に乗りすぎて、フィナーレで転ぶのも愛嬌(あいきょう)だった。

■舞台裏で全く違う顔見せる選手たち
 舞台裏の選手たちは全く違う顔を見せる。演技とは別人のように子どもっぽかったり、クールなベテランがユーモアあふれる人だったりする。観光も兼ねているから、選手が案内することもある。荒川は主催するショーでは「おいしい店を調べて、毎晩、出演者全員で食事にいく」と話していた。
 物心ついたころから、羽生は日本にいながらそうした空気を吸ってきた。ライバルとなるパトリック・チャン(カナダ)とはショーでも会っており、今回金メダルを獲得した演技のときに身につけていた衣装をデザインしたジョニー・ウィア(トリノ、バンクーバー五輪米国代表)は、かなり前から羽生に目をかけていた。

■練習リンク求めて全国各地を転々
 東日本大震災が起きた11年、羽生は仙台のリンクが使えず、全国各地を転々とした。青森県や神奈川県のリンクを使い、日本で行われるショーのすべてに出演することで、リンクを提供してもらった。ショーで使うリンクは本番の1週間ほど前に完成する。そのリハーサルや本番の合間の時間を使って練習した。
 関西、北陸、関東、中部、九州……。仙台との往復と人前に立ち続ける緊張感で疲弊する一方、滑り込み不足も気になる。「人前でプログラムを通して行う機会も多いので、演技は磨かれる」と話した羽生。このシーズン、初めて世界選手権でメダル(銅)を獲得。そのときのフリーの楽曲が、レオナルド・ディカプリオ主演「ロミオ・ジュリエット」のサウンドトラック。震災の思いも込めて、今季も同じ「ロミオとジュリエット」(ニーノ・ロータ作曲版)を選んだ。
本田武史や高橋ら2000年代の男子フィギュア界興隆の礎となった2人とは、羽生はスタート地点が全く違うのだ。

■選手数人でコーチの海外遠征費
 高橋も羽生と同じで世界ジュニアに優勝した翌シーズンにシニアへ転向した。当時は羽生より1歳年長の16歳だったが、本田以外のトップ選手らをテレビの映像でしか知らない。通路で真剣モードのプルシェンコらを初めて見て「居場所がなかったし、オーラのある人のそばにいて気持ちが縮こまるような感じだった」と述懐した。
 今はプラチナチケットの全日本選手権も、2000年代初めには観客席はガラガラ。当時は日本スケート連盟に潤沢な資金はなく、スポンサーもつかないから、海外遠征ではコーチの遠征費は選手が負担した。選手数人でコーチ1人分の費用を捻出し、交代でリンクサイドに立ってもらったことまである。
 演出もつたなかった。エキシビションは通常、場内は暗く、ライティングを駆使する。だが1998年長野五輪では、試合と同じく会場全体が明るいままに行い、既にショーが盛んな時代だったから、フィギュア界でも驚かれた。

■高橋世代も海外で気後れした経験
 本田、荒川、高橋の世代までの選手は多かれ少なかれ、世界での評価を安定させるのに時間がかかり、海外で気後れした経験を持っている。特に男子は選手が少なく、女子に比べると戦績が劣っていたから、肩身の狭い思いもした。
 だが羽生がシニアデビューした10年には、すでに男女ともに日本はフィギュア大国として知られていた。09年に始まった国別対抗戦、それより前の06年に再開したジャパン・オープンと、国際大会を日本で開催する機会が増え、国際スケート連盟(ISU)ジャッジ、関係者の来日も多くなった。

 15歳だった羽生は意気込みすぎてミスしていたが、気後れした様子はほとんど見られなかった。シニア初戦から堂々としており、ワクワクしている感じが伝わってきた。11年2月の四大陸選手権(台北)では、シニア1年目で早々と国際大会初のメダル(銀)も獲得している。
 「またファンタスティックな少年が日本から出てきたわね。ハニュウ? 今後も気をつけて見とくわ」。そのとき、フィンランドのISU理事に言われた言葉が忘れられない。=敬称略
(原真子)

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羽生の金 本田武史氏、高橋大輔が一歩ずつ進めた 
デイリースポーツ 2月16日(日)11時0分

ソチ冬季五輪で、男子フィギュア初となる金メダルを羽生結弦選手が獲得した。人気、実績とも女子に先んじられてきた中での悲願の頂点だ。この栄冠は、ソチを最後の五輪としている高橋大輔、そして、高橋の前に男子フィギュアを引っ張ってきた現解説者の本田武史氏が、一歩ずつ歩を進めてきた末にたどり着いたものだ。
 長野、ソルトレーク五輪代表の本田氏は、14歳の時から日本のエースだった。16歳で長野に出場。国内開催でメダルの期待もかかったが、15位に終わった。まだあどけなかった少年は、母の手作りした着物風の衣装を身につけて一人重圧と戦った。
 ソルトレークでは4位とメダルを逃したが、その年の世界選手権では3位。佐野稔以来となる銅メダルを獲得した。世界のトップで戦えるたった一人の日本男子として10年近くを過ごした。
 高橋もまた、一人で走ってきた。トリノ五輪の2シーズン前の世界選手権で、エース本田が故障して棄権。五輪出場枠は世界選手権の出場選手の順位によって決まるため、高橋一人にトリノの日本男子出場枠が託された。しかし、結果は15位。トリノの男子出場枠は1つとなった。
 19歳で初五輪となったトリノで高橋は、「自分が枠を1つにしてしまった。結果を出したい」と責任感を口にしていた。しかし、重圧は振り払えず転倒して8位。当時の代名詞は「ガラスのハート」だった。
 本田氏の引退を受けて日本のエースとなった高橋だが、これは実績的にも急激な世代交代だった。当時はあまりに大きな荷を背負わされた印象だった。その後、織田信成、小塚崇彦らが台頭し、男子の層は厚くなり、高橋はバンクーバーで日本男子史上最高位となる銅メダルを獲得した。
 右膝の故障や、今回のソチ直前にも右すねを故障するなど波乱の選手生活だった高橋。ソチでも右足の状態は最悪だっただろう。
 しかし、彼の存在によって、羽生が本田氏や高橋のように、たった一人で重圧を背負うことはなかったはずだ。記者には高橋が痛む右足で、自身が初めて五輪に出場した時と同じ19歳の羽生を支えているように見えた。
 羽生の金メダルを伝えたテレビ中継で解説した本田氏は、努めて冷静さを装っていた。羽生の前に演技を終えた高橋は、解き放たれた笑顔を見せた。本田、高橋の2人のエースは、見事に羽生にその座を禅譲した。
(デイリースポーツ・船曳陽子)

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