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「たかじん・安倍晋三特別対談SP」書き起こし-(2)俵山会議(国防)
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「6年目の約束 たかじん・安倍晋三特別対談スペシャル」 (2011年1月9日放送)の書き起こし二回目です。
露天風呂→アイスの後は、俵山温泉の「涼風荘」 (数寄屋造りの趣のある建物の写真はこちらのHPにあります)で御膳を囲みながら、三宅久之先生と金美齢先生も交え、落ち着いた和やかな雰囲気での「委員会」となりました。
では、始めます




(以下敬称略)

安倍「ここ古いんですけどね、私の祖父の岸信介がね、巣鴨の刑務所から出てきたあとね、一年間くらいここにいたんですよ。」

(テロップ)
安倍元総理の祖父岸信介氏(のちに総理)はA級戦犯として逮捕されたが、不起訴となり釈放された直後に、ここ俵山温泉で静養をした。

勝谷「それはやっぱり世の中にもう一度復帰するためのアイドリングタイムというか」
  
安倍「そうですね。復帰できるかどうかっていうのはまあ刑務所から出てきたばっかりですからね。で、それでまあ日本を何とかしなきゃいけないという思いの中で温泉に入りながら。」
  
たかじん「なんとかしなくてはいけない場所やねんな、ここは。そこに我々も来てしまった。」

金「復帰のための第一歩の場所、うーん、いいねぇ」
(以降のいくつかの発言はカット。「俵山会議」(勝谷氏)と命名)

金「私、岸信介先生の通訳をしたことがあるんだから、台湾で。」
 
安倍「その時、おいくつくらいだったんですか」
 
金「その時まだね、30前ですね、20代後半。日本に留学して、夏休みに(台湾に)帰った時。」
 
たかじん「ばんばん声かけられたでしょ。」
 
安倍「まさか私の祖父が声をかけたんじゃないかと思って心配になります。」
(金さんが美人というはなしで和やかムード)

勝谷「正直言って僕もたかじんさんも、政権交代には割と賛成だった。」
  
たかじん「うんそう
  
勝谷「でもね、これはね、やっぱりね、一番悪い膿は出した方がいいのかもしれない。要するに国が生まれ変わる時の一つの膿で、金先生に怒られそうなんだけど、出したものは出した方がいいと思う。今日は安倍さんがいらしているから申し上げるけれども、自民党政権時代のつけもあるわけですよ。」
  
安倍「そりゃそうですよ。」
  
勝谷「全部、安全保障も逃げてきた、たとえば、自衛隊もちゃんと軍と言えなかった。そこのところを自民党がどれだけ反省できてきたのかというそのあたり、いかがなんですか」
   
安倍「それが極端な形で出たわけですね我々がやっていればもっとましな対応をもちろんしているんですけれども、やっぱりそれをずっと先回しにしてきたんですね。
自民党というのはとにかく、憲法を変えて真の独立を回復すると、これが一つの目的ですね。
もうひとつはまあ、高度経済成長をしていくために安定勢力をつくろう、こっちの目的を優先して一番目が後回しになった。集団的自衛権もそうですよね。
まるで自衛隊員の人たちがですね、ちゃんと日夜昼夜を分かたずね、頑張っているのに、それをちゃんと国民に説明してこなかったし、」
  
金「でも私ね、安倍さんが首相だった一年間ね、戦後レジームからの脱却っていうことをずっと唱えてらしたでしょう。実はそれが一番大切だったのに、メディアに叩き潰されたじゃないですか、ね。それで、政権交代を叫ぶようなそこら辺の人(たかじん&勝谷氏を指さす)がね。
やっぱり、メディアの論調というのは偏狭な愛国ということをメディアは言いたがるわけじゃないですか
。」
    
三宅「だけどね、自民党もね、よくなかったよ。たとえばね、カンボジアに部隊をPKOで派遣したことがあるでしょう。あの時の内閣にね、私は進言したんですよ。隊員が帰ってきたらね、隊員と家族も含めて、全部官邸の庭かなんかでパーティをやって、昔よくやってたんだ、自民党が文化人パーティとかね、テント張って、呼んでね、総理大臣が深く労をねぎらってやったらどうだと言ったらね、『合意が得られますかねぇ』なんちゅうことでね、」
  
安倍「宮沢政権ですかね」
  
三宅「宮沢政権です。河野官房長官だと思うんだけどね。大体ね、統幕長とかね、官邸に入れなかったんだから、自民党時代でも。」
  
安倍「当時はそうですね」
   
三宅「そういう時代だったんだよ。制服組が官邸に来ることをね、自民党政権自体がね、タブー視していたというのがあるんだよ。」
  
安倍「やっと入れたのが、橋本政権ですね。橋本政権の時から、」
      
(テロップ)カンボジアPKO
1992年国際平和協力法に基づく国連平和維持活動(PKO)として自衛隊がカンボジア王国に派遣された。陸海空の各自衛隊が参加し、建設・輸送・補給・停戦監視等の任務に当たった。これは1990年の湾岸戦争で、多国籍軍に人は出さず、資金援助だけを行い、米英から批判を受けたことが大きい。

  
勝谷「僕はタケオにまで行きました。自衛隊員は死ぬ覚悟でした。つまり、自分は何もできない。票所の警護をするけれども、銃もないし、何もできない。自分が死ねばいいんだという覚悟で、僕は涙が出ました。」
   
安倍「そうですね。」
  
勝谷「実際、高田警部が亡くなって、中田君っていうボランティアが亡くなったけれども、高田警部補が亡くなった時に、一緒にいたオランダでしたかね、護衛のやつらはヘリで連れて行かれたけれど、高田さんはそのまま亡くなられた。こんな国はないですよ。そこで僕らは血涙を流して、この国は国民を代表して行ってくれた人を助けてくれないのかと言わなきゃいけないのに、でも、それは自民党政権なんですよ。」
  
(テロップ)文民警察官死亡事件
カンボジアPKOには、文民警察官として警察官75名も派遣されたが、岡山県警の高田晴行警部補、パトロール巡回中にゲリラから攻撃を受け死亡。ほかに4名の警察官が負傷した。

安倍「そうですね。それは確かに反省はありますよ。あの時、私はまだ議員ではなかったんですが、あの時、機関銃一丁か二丁かってバカな議論があったんですね。」
  
三宅「そうそう。」
  
安倍「機関銃一丁持っていくのはおかしい、当時の社会党、菅さんもいましたよ。」
  
(テロップ)PKO部隊の武器使用
陸上自衛隊施設大隊は、拳銃及び小銃のみを携行した。
また、その武器使用については厳しく制限されており、他国のPKO隊員が目の前で攻撃を受けた場合ですら、それを守れないことが問題点として指摘された。

 
勝谷「あの時、牛歩したんですよ、社会党が
  
安倍「反対してね、機関銃一丁で行かせたんですよ。」
   
三宅「軽機関銃ね。」
   
安倍「機関銃一丁っていうのは、180度なんですよね。二丁あって360度。射程距離が長いんですよ、機関銃の方がね。それなのに、射程の短い短銃しか持たせられなくて、機関銃一丁で行かせた。本来であれば、機関銃二丁か出さないかっていう判断をしなければいけないんだけど、まあ・・・。
これがしかしね、あの中でも、大変な議論でね、菅さんは最後まで牛歩戦術でマイクにしがみついて反対して、衛士にひきずり出されるっていう状況ですよね。しかし、新聞の論調もそうだった。」

(写真-1992年6月13日PKO国会 菅総理(当時は社民連に所属)当時マイクにしがみついてPKO法案に反対)

三宅「私もあの時ね、タケオに行ったんですよ。」
   
勝谷「ああそうですか!」
   
三宅「自費で行ったんですよ、テレビ朝日が金ださね~もんだからね。(笑い)それで、周りをかこった鉄条網まで盗まれちゃう。それからね、電気も来てないのにね、クーラーの室外機が盗まれる。」
   
勝谷「あのね、土木工事に行くでしょう。土木工事行ったら置いておけば翌日、効率がいいんだけど、持って帰らないと、全部タイヤも盗まれちゃう。」
   
三宅「そうそう、そういうあれだった。そういう時にね、軽機関銃一丁持って行ったんですね。それで、ジープの上に軽機関銃乗っけて、巡回をしたら、ぴたっとなくなったっていうんだ。それがやっぱり抑止力なんですね。」
   
金「ああ、そうだねぇ~」
   
三宅「そうするとね、ある新聞、あなたの大好きなある新聞、あの機関銃には弾が込められてないっていうことを書くんですよ。」
   
勝谷「バカだねぇ
  
三宅「バカだねぇ。本当にね。ポルポト派が日本にスパイでもいて、送ることはないかもわからないけどね、なんで、あの機関銃に弾が込められていないなんてことを書かなきゃならないのか。」
   
安倍「あの後、小泉政権ができて、テロ特措法を作ったじゃないですか。テロ特措法を作る時、私、官房副長官だったんですが、現職の制服の人たちの意見を聞こうと思ってね、意見を聞いたんですよ、どういうものを求めますかと言ったらですね。
まずね、『今までの答弁を変えてくれ』。何がいけなかったんですかって聞いたらね、『自衛隊を危険なところに行かせません、ということだけはそれだけはやめてもらいたい』と。『我々は、いわば、国民の名誉を担っていく、負傷したり、場合によっては命を落とすという覚悟をしているんだ』と。
かつね、アフガンそのものに、陸に行く可能性も含めての法律を作るということでしたから、『そんなはずじゃなかったって言われたんではね、我々は立つ瀬がない。家族も。』ということでしたから、法律を作る前の勉強会を官邸でやりましてね、小泉総理に申しあげたんですよ。彼から言われたということではなくてね、『危険なところにはいかせないという答弁を総理、もうやめましょうよ』と言ったらね、小泉さんは『当たり前だ』とこう仰ったわけですね。
しかし、今までの累積の答弁とね、法制局の説明からして苦しくなるんだけどね、しかし、小泉さんは当時は人気も高かったですからね、それでとうとう突っ切っていくわけですよね。法制局は四の五の言いましたよ。それはしかし、安全なところに行くんだったら、ボーイスカウトだっていいわけでしょ(笑い)。ある意味ではね。それだからこそ、危険なところだからこそ、自衛隊が行くんじゃないですか。
だけど、かつてのカンボジアの時はそういう答弁だったですよね。かつての宮沢さんの時代も、海部さんの時代もそういう答弁だった。
常識が通用したんですね。法制局上の積み上げよりも、常識が通った、というそういう瞬間だったのかなと思いましたけどね。」
   
(俵山会議「リーダー編」に続く)



   

自衛隊に関連して、過去記事でご紹介した動画を再び貼ります
今の日本は、「国民の目から隠されていること」「知ろうとしなければ知ることができないこと」があまりにも多い。   

 


(拙記事-「国民と政治家は対立する存在ですか-小池百合子さんの演説に思う」でご紹介した動画)


 


(拙記事-「自衛隊は暴力装置」仙谷官房長官の発言だけじゃない参院・予算委員会書き起こし(其の弐)でご紹介した動画)

さて、再三、座談会のメンバーから、「メディアの責任」という言葉が出てきますよね。
日本になんの利益ももたらさない既存のメディア、勝谷さんの大好きなあの新聞(言わずと知れた朝日新聞ですね)や「何だったの、異様な安倍バッシング」などを振り返って、番外編で記事にしようと思います。
「なんかテレビ、おかしいな」と常日頃感じつつも、まだ、この言葉がピンとこないという方には、最終号となってしまった撃論ムック」をオススメします
    

まるで戦時中ですね。大本営発表の新聞報道をつなげながら、その記事の隙間から、受け手が記事の背後の動きや民主党政権が隠蔽した真実を読み解かなければならない
これは自民党政権の時よりひどい状況です。民主党政権になってわずか一年余りでこうなったというのは恐ろしいことです
。」
(「反日マスコミの真実2011」より西村幸祐氏の発言を転載)」




「政権交代には割に賛成だった」と悪びれもなく言い、「民主もダメだけどさ、今までの自民が悪いんだよね。オレっち、悪くないもんね」と自身が糾弾するメディアと同じことを言い放つ勝谷氏へのツッコミは次回。
個人的には、「金さん、いいぞ~もっともっと言ってやって~」とパソコンの前でエールを送ったワタシです。


ちなみに、収録の後、たかじん氏が宿泊したのはコチラとのこと。 いいなあ  
     
   
  

私などは旅好きの血が騒いで、俵山温泉に行ってみたくなりました。私、山口県は下関と巌流島を訪れただけで、こういう場所があることも知りませんでした。 そう考えると、「委員会」のロケをここでやったことって、ものすごい宣伝になりますね。



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